目についたものを何でも

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
-------- : スポンサー広告 :
Pagetop

散歩の勧め

tubaki
2年程前、血液検査の結果が悪かった為、医者から毎日30分の散歩や水泳、摂取カロリーは1日1600kcalと言われた。

  昔、市内の水泳大会に出た位だから泳ぐ事は別に苦にならないが、泳ぐ事自体が単純作業なのですぐに飽きてしまう。走る事もどちらかと言うと得意で、小6の時に松山市の大会で1位になり賞状をもらった。(中学生の頃は陸上部より早かったし、高校時代までは陸上部と対等に戦えた。こんな話をしても今や誰も信じてくれない。信じてくれるのは当時の同級生とお袋だけである)が、しかし、そんな私が走れない!。ゼイ肉の上下運動による慣性エネルギーが、「前方に走る」と言うパワーよりも大きいらしい。

  水泳は退屈だし、ジョギングは無理となると「歩く」しか選択の余地は無い。  しかしこの「歩く」という行為が非常に面白い。別にドーパミンが出てウォーカーズ・ハイになると言う訳ではないのだろうが非常に面白い。 まず、景色が違う。自転車や車のスピードでは見えない物が見える。それに風切り音が無いので「音」が聞こえる。それと「手で触れる」事ができる。昆虫や植物はもちろんだが、石や建物の「触感」を感じる事ができる。

  現在、ほぼ毎日30分は散歩する。休みの日は1時間半程は歩く。特にお気に入りのコースは自宅から道後まで行き、椿湯に入って帰ると言う約2時間程のコースである。

  道後温泉本館は観光客が多いので私はいつも椿湯に行く。大きな浴槽が1つあるだけである。その浴槽の奥、中央に大理石で作られた大きな湯口がある。この大きな湯口の両サイドは地元道後の重鎮達の指定席であるが、この湯口の「左側で寝ると死ぬ」と言う噂が流れた時期があった。重鎮達はかなりの歳で重鎮というより、かなりの「粗チン」になっているが、その地元の粗チン達が次々と謎の死を遂げるというのである。まさにツタンカーメンの呪いの様な話である。実際問題、ある時期この場所には誰も座りたがらない時が有ったらしい。

  この粗チン達は湯口の両サイドで風呂桶を枕にして寝ている事が多い。一見すると死んでいる様にも見える。中にはいつも顔を合わす風呂友達が死んでないかを確かめる為に、足先でチョンチョンとつついている粗チンもいる。
 ほとんどの場合、彼らは上を向いて、右腕を額の上に置き、口を開けて、足を組んで、粗チンの部分は一応タオルで隠して寝るというパターンである。たまにタオルがズレ落ちてチンが顔を出している事もある。その場合は隣の重鎮、いや、粗チンが優しくタオルを掛けてやるというほほえましい光景を目にする事もある。

  1週間前に私は椿湯に行ったが、その時重鎮達は「手術跡」に関して盛り上がっていた。

「あんた、それ胃の手術かな?面白いとこに跡があるな~」
「いや、膵臓よ。今年のはじめにやったんよ」
「うまい事やっとるな~。どこでやったっん?」
「日赤よ。うまいことやっとろがな~」
「それはうまいわい!わしは胃がんの手術やけどな~、これ見と~みや~、こんな不細工な事したらいかんわいな~。こんな切り方やったらうちのカーチャンでもできらい」
「ほ~やな~。それやったら、そこらの寿司屋の大将の方がうまいわい。ガハハハッ~」

まるで家のリフォームである。

この会話が発端で次々と「手術跡持ち」が集まってきた。私の目の前である。中には入れ墨持ちもいた。入れ墨持ちにはこれと言って手術跡は見当たら無かったが指が無かった。さすがに指の上手な落とし方の講釈はしてなかった。聞く所によると彼らは初対面であるが、やはり裸の付き合いは瞬時に「友達」にしてしまう。

  何故、左側だけが死ぬのか?いろいろ観察してみた結果、ある事が判明した。 私も実際に重鎮達と同じ格好をして寝てみた所、そこは浴室入り口のガラスのドアを開けると冷たい空気が直撃する場所なのである。おそらく、日曜日などの入浴客が多い日は結構スースー冷たい空気が当たるのではないだろうか。その結果急激な血圧変動を起こし、心臓マヒに至ったと私は推測する。上の写真も左側には誰もいない。
  
 一昨年頃から、道後温泉も消毒用の塩素問題が話題になった。間違いなく湯質は低下したと感じる。だが、私に言わせれば塩素問題よりも、重鎮達をいかに守るかを検討する事が先決と感じる。
 
・「ここで寝ると死にます」という看板を作る。
 ・寝姿マネキンを作っていつもその場所に寝かせておく。
 ・重鎮達にサークルを結成させ(例えば”手術跡を偲ぶ会”)、とにかく会話に弾みをつけ、寝かせない。ヒマラヤでも「寝たら死ぬ」のである。
 
 早急にこれらの対策を講じて頂きたいものである。

本日の句。本日の句は私の作ではない。かの種田山頭火の句である。以前、仕事の関係で山頭火の事を色々と調べた。その中で温泉に関する句で、かつ最も印象に残った作品である。


朝湯 こんこん あふれる まんなかの わたし (種田山頭火)


山頭火は自由律俳句と呼ばれ、決まり事に縛られない自由な作風である。「それなら自分にもできそうだ」と思うが、これがなかなか難しい。やはり我々凡人には
五七五の方が考えやすい。



2006-09-25 : 全くアホらしい川柳・俳句・短歌編 : コメント : 0 : トラックバック : 0
Pagetop
コメントの投稿
非公開コメント

Pagetop
« next  ホーム  prev »
FC2ブログランキング
Pagetop

カレンダー

06 | 2017/07 | 08
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -

プロフィール

FC2カウンター

QRコード

QRコード

ブログ内検索

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。